日本パグ野球ドラフト会議と「巨人軍の長嶋茂雄です」作戦と

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「 #コロナばっかりで気が滅入るから可愛い動物載せようぜ 」というハッシュタグが流行っていたので、すかさず「 #コロナばっかりで気が滅入るから可愛いパグ載せようぜ 」というハッシュタグを作って投稿して、世界を包む暗いムードにひとすじの光明をさすべく活動しているだいきちです。

さて。

日本パグ野球(NPB)ドラフト会議が、野球ファンかつパグファンという一部のせまーい層に向けて開催されております。

コロナショックで各種スポーツの興行も、中止や延期、あるいは無観客での開催など、苦しいピッチングに追い込まれており、おそらくプロ野球も例外ではなく3/20の開幕になんらかの影響があることでしょう。

そんなときに立ち上がったのが日本パグ野球界。

パグ野球界が少しでもプロ野球界のチカラになれるように、たのしい話題を振りまけたらと思っています。

 

野球漬けだった高校時代の話

ふと思い出した昔話。

ノストラダムスの大予言を目前に控え、「滅亡するわけないじゃん。バカじゃねーの」という気持ちと同時に「何かが起こってほしい」という期待に胸ふくらませてた1999年の4月、野球漬けの高校生活が始まりました。

といっても、甲子園目指して一直線な爽やか高校球児な話ではなく、全く別の角度からの野球の話です。

進学した高校は地元ではそこそこ有名な進学校で、自分は地元ではそこそこ有名なバスケットマンでした。

なので、ことバスケに関してはいわゆる"チョーシこいてるヤツ"だったように思います。お山の大将です。そんなイタイやつを、みんなとフラットな関係にしてくれたのが、ノストラダムスとジャイアンツだったのです。

 

当時の北海道は日本ハムファイターズが移転してくる前で、その地区の男子は小さいころからテレビ中継で巨人の試合ばかりを見て育ってました。サッカー部であろうがバスケ部であろうがバレー部であろうが、巨人軍の話はみんなの共通の話題ランキング断トツのナンバーワン。

巨人とノストラダムスの話で打ち解けていった自分たちは、いつしか黒板の一角(進学校だけあって正面だけでなく教室の側面と後ろ側にも黒板があった)に巨人軍スペースを確保することに成功しました。

仁志、清水、松井、清原、高橋由伸…、と毎日各選手の打率とホームラン数を黒板上で更新しては、あーだこーだと盛り上がってました。広沢や、石井浩郎、シーズン途中には西武からマルちゃんを獲得したり、この巨大な戦力で負けるわけねーだろうと、シーズン最後にはドラゴンズをまくって優勝するだろうと、それを疑うものは誰もいなかった(この年ドラゴンズは開幕11連勝とロケットスタートをしてました)。

夏になると、巨人軍のなかでも話題の中心はルーキー上原浩治でした。バツグンのコントロールと、テンポの良いピッチングでそのころにはすっかりエース格。衰えの見えてきていた斎藤雅樹や桑田、ガルベスに代わる大エースの登場に毎週月曜日は大騒ぎでした(上原は毎週日曜日に登板してた)。

8月、もう1つの大きな話題だったノストラダムスの大予言が大いに空振り、まんまと生き残ってしまった僕らはプロ野球にさらなる楽しみを見つけるべく、いろんな遊びを開発していきます。

トランプの中にプロ野球カードを混ぜて独自ルールの大富豪で遊んでみたり、ピンポン玉で鬼変化球を駆使した野球大会に精を出してみたり、最も創造力が爆発していた時期だったかもしれません。

その中でもとりわけ楽しかったのが「巨人軍の長嶋茂雄です」作戦です。

当時、その地域の高校一年生おける携帯電話やPHSの普及率はおそらく20-30%程度。40人クラスで10人くらいが持っているくらいなものでした。そこから半年や一年後にはクラスの半分くらい、卒業のころには70-80%くらいと一気に普及していきます。

当時は個人情報なんて考え方は皆無で(少なくとも自分たちの生きてた世界ではなかったので)、今考えるととても謎でアウトな風習がありました。

学年の誰かが携帯電話を持つと、先行して持っていたグループの人たちが「番号とメールアドレスみんなにまわしとくから」といって、半強制的に全員に知らせました。なので、話したことあるなしに関わらず、同じ学年ほとんどの人のメールアドレスや番号をみんなが知っている状態だったのです。

毎日学年の誰かの連絡先が届くような感じで、電話帳の登録数も日に日に増えていきました。

「ワン切り」という謎のコミュニケーションが流行ってたのもそのころです。

一瞬だけプルッと鳴らして着信通知だけを残してすぐ切る、というものです。当時はこのワン切りの着信通知の数が、今でいう「インスタのいいね」だったのです。休み時間ごと、毎朝の着信通知の数が人気のバロメーターで、みんながその獲得に躍起になっておりました。

一方で、ワン切りは嫌がらせにも使われてました。

ワン切りの着信通知の数は人気のバロメーターだけど、非通知(184)のワン切り数は迷惑以外の何者でもありません。

当時は「非通知の着信拒否」なんて機能は存在せず(あったかもしれないけど、使いこなしてる人は誰もいなかった)、非通知であろうなんだろうと受けざるを得ない状況でした。

ワン切りの数競争ゲームの中、非通知ワン切りの嵐に苦労してる人もいたのが当時の高校生のリアルです。

そこに目をつけたのが、我ら1年F組ジャイアンツファンチーム。

親戚のおじさんが宮崎キャンプを観に行ったときに買ってきてくれた長嶋監督のキーホルダーがあって、そのキーホルダーは、裏側のボタンを押すと「巨人軍の長嶋茂雄です。チーム一丸となっていわゆるひとつの優勝を目指して闘ってまいります」と長嶋監督の肉声が流れるスグレモノでした。

そのキーホルダーを武器に、非通知に苦しむ人々を救うべく立ち上がったのです。カッコいい。

非通知ワン切りに苦しむ人に通常の通知ワン切りをしてあげて緩和してあげても、ワン切りランキング上位のヤツらに勝てるわけでも、非通知の数が減るわけでもないので、効果は限定的。

非通知に嫌な思いをしていることは変わりません。やはりいつの時代も既存のルールで戦っても先行者にはそうそう勝てるわけではなく、取るべき方向はゲームのルール自体を作って変えてしまうことです。

そのとき自分たちがとった手段は、非通知でワン切りではない普通の電話をする→ 相手が出たら「巨人軍の長嶋茂雄です」を聞かせる→ 一通り聞かせたら電話を切る というものでした。

そして同時にそれとなく、「なんか昨日の夜長嶋茂雄からへんな電話かかってきた」という話題をクラスの中に流布します。

長嶋茂雄作戦は少人数(というかキーホルダーが一つなので僕一人)で夜な夜な決行していたため、徐々に徐々に学年中にじわじわと長嶋茂雄リスナーが増えていきました。そうすると、クラスの中の話題も「俺にもナガシマ来た!」「私も!」となっていき、にわかに長嶋茂雄ムーブメントが巻き起こっていきました。

いつしか長嶋茂雄からの謎電話は、話題の中心でみんなが望むものとなり、ワン切りの数ではなく長嶋茂雄からの電話の有無こそが重要な指標となったのです。「おれのとこにもナガシマ電話きてほしいな」状態です。非通知に対するイメージもいくらかポジティブになったことでしょう。

大成功の「巨人軍の長嶋茂雄です」作戦はその後、冬で野球の時期が終わったこと(その年巨人軍は二位でシーズン終了)、ニセ長嶋茂雄リスナーが生まれたこと(ナガシマ電話してないのにウチにも来た!と嘘言い出すヤツ)、さらには意外と通話料がかかることなんかが重なり自然消滅していきましたが、あのとき感じた「おもしろいことを考えて実行してそれがハマったときの気持ち良さ」みたいなものを、20年以上経った今でも追い求めているような気がします。

▼•谷•▼ ▼•谷•▼ ▼•谷•▼

以上、日本パグ野球ドラフト会議やパグフェスの企画を進めている中でふと思い出した内容を綴った雑文でした。

パグフェス2020の申し込みは3/22からの予定です。おたのしみにー!

 

 

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